『面白いとは何か?面白く生きるには?』

 「面白い」に関する知識を蓄えるにあたり、いかにもなタイトルの本『面白いとは何か?面白く生きるには?』を手にとることにした。

 冒頭は「面白い」にもいろいろあると語るところからはじまる。何かを創作するにあたっては、この様々な「面白い」を知り、どのようにそれらを引き出すかを考えることになる。ほんとか?

 「面白い」という言葉は抽象度が高い。ある「面白い」を再現するにあたり、こうすると「面白い」としか認識していない状態は盲目に等しい。視覚に頼らずに獲物を狙うようなもので、そのような状態で獲物に、さらには急所に当てるのは至難だ(嗅覚を磨くという解決策もあるが)。
 それに対し、はじめに「驚き」があり「緊張」に変化。それらが治まると状況に「集中」。状況を打破する答えを探しているときに「焦燥」や「不安」、答えを出したときに「不安」がやわらいでいき、敵を一掃したときに「爽快」だと感じた後に「安堵」している。最初から最後まで概ね興奮状態にあった。と、各感情を引き出して注意を引きつけたり興奮させておけば良さそうだということに気づけば、かたちを変えて再現するといった応用も可能になる。まあ言うは易し行うはなんとかで、この一連の流れを『Torchlight 2』みたいにしたらええんやで言われても実装できない。

 方針について考え直すことになった。この本を手にとるまでは、対ヒトの何かを作る場合は、ヒトの脳内物質をいかに引き出すかを追求すればよく、それは料理でも音楽でも動画でも同じだろうと考えていたけど、脳内物質に照準を合わせるのはやめた方がいいかもしれないと考え直した。
 伝言ゲームを繰り返した分だけ情報が損なわれるのと同じ仕組みで、感情と脳内物質を結びつけるという操作を入れることで情報が損なわれることが予想される。この伝言ゲームの難度は非常に高いので情報損失は大きくなる。結果、感情に対する精度が落ちる。であれば、感情の構成要素である脳内物質に照準を合わせるのではなく、感情そのものに照準を合わせた方が簡単だしマシなのではないだろうか。でも、ある感情を引き出したいときに、この感情にはこれらの脳内物質が関わっているといった情報は補助的に使えそうな気がするので切り捨てもしない。
 感情を引き出す方法についても軽く調べる。どうやら「MDAフレームワーク」や「EMSフレームワーク」といった手法があるようだ。まだ勉強してないけど、第一印象はセンスのない人を集めてゲーム作りを手堅く進めるための手法かなと思った。でもまあ個人の学習効率が高くなることも期待できるか。例えば、なんとなく面白いだの興奮しただの感じて終わるよりは、このような感情が生まれたのは、この仕組みによって、このような思考と行動が誘発された結果だろうということを、どこかに書きためておいた方が「何をすればいいのか分からない」状態には陥りにくそう。いやあ勉強になるなあ。まだ2ページしか読めてないけど。